共依存の恐怖! 流行りのモラハラに見られる恐ろしい傾向~必要な要素と対策~

これまでいろいろなハラスメントが社会問題になってきましたが、今一番問題になっているのがモラハラ(モラルハラスメント)ではないでしょうか。
しかしその延長上に共依存という恐ろしい傾向が出ていることが話題になっています。
前回までの記事はこちらです。

関連記事

これまでいろいろなハラスメントが社会問題になってきましたが、今一番問題になっているのがモラハラ(モラルハラスメント)ではないでしょうか。しかしその延長上に共依存という恐ろしい傾向が出ていることが話題になっています。 モラハラとは? […]


関連記事

これまでいろいろなハラスメントが社会問題になってきましたが、今一番問題になっているのがモラハラ(モラルハラスメント)ではないでしょうか。しかしその延長上に共依存という恐ろしい傾向が出ていることが話題になっています。前回の記事はこちらです。[…]

実際の行動を相手にゆだねている!?

頭の中ではこのつらい状況から何とか立ち直ろう、と自分から何かするかのように意識しているにもかかわらず、実際の行動は相手に期待している形になってしまっていることが少なくありません。
ですが結局相手は変わりませんので、状況が変化することはないのです。

むしろ加害者側が時々見せる、反省したり泣きついたりというような行動(これが加害者側も依存している、といわれるゆえんのひとつでもあります)が罪悪感を刺激してしまい、この人から離れよう、という決意をにぶらせることも問題点ではないでしょうか。
せっかくコトが動こうとしているのに、結局元に戻ってしまうのですから。

こんなことが続くと、相手は正しいことも言っているが、自分が至らないので不機嫌にさせている、というような考えに変化していきます。
そして最終的には自分しかこの人を理解してあげられない、というレベルまで到達してしまうのです。
そうするとカンタンには別れることができなくなり、共依存のまま膠着状態が続くような感じになってしまいます。

見た目にはしんどそうに見えているのに、相手をかばいだてする、相手を信用できる人、自分がいないとダメなかわいそうな人だという、といった痛々しい雰囲気に変わっていきます。
別れたいと心のどこかでは思っていても、結局おやさしい面が「見捨てることができない」というところに大きくフォーカスしてしまうのですね。
しかしこの並々ならぬお心の広さ、やさしさ、まるで母からの愛を思わせるような深い愛情の部分を、ある意味悪用されているような気がしてなりません。

海のように広く深い母の愛も…

共依存の方はこの母からの愛のような深い心の器があります。
しかし一方で、自立心や自己肯定感などが欠けやすいと言われています。

そもそも加害者側から自己肯定感が下がるようなことを言われ続けているわけですから、この下がった自己肯定感を何とかしないといけません
それだけではなく「母親的な愛情全開」のところを、もう少し「父親的な愛情」をとり入れてバランスを保つことも必要とされています。

よく母子家庭の母親は父親がいない分「しっかりしなきゃ」と感じ、必要以上に子供を厳しくしつける傾向があるといいます。
その場合母親的な愛情が不足しがちになる、という問題点が指摘されるのだとか。

モラハラ被害者においては、逆に母親的な部分が優位に出てしまっているので、父親的な要素(ルールをきちんと守る、相手を思うからこそ厳しいことも言う、頼りがいがあるなど)を入れることが有効と考えられています。
とりわけ共依存の方には、こういった父親的要素が極端に低い傾向があると言われているそう。
もちろん以前から何度か登場している、言うことをきかなければ殴る蹴るといった「昔の父親的」な要素ではありません。

母親的要素があることは決して悪いことではないのです。
ですがある面では父親的要素が必要なのに母親的要素が過剰、という傾向があるのをなおしていきましょう、ということですね。

最初のうちはなかなか難しいかもしれませんが、どういう時に父親的要素が必要なのか、また母親的要素が必要なのか、振り返って考えてみましょう。

父親的・母親的、どちらの要素も必要!

不足しがちな父親的要素についても、どのくらいのレベルで日々出しているのか?
どこまでなら母親的要素をおさえることができるのか?

この点をおさえながら、先ほども申し上げた「失われた自己肯定感」を取り戻していかなければなりません。
自分の言動や行動をも振り返り、言い回しを変えたりしてみましょう。
自己肯定感が低い人は自分に厳しい傾向があります。
だからこそ「自分がいたらないから」などと考えてしまうのです。
そうではなく、もっと自分にやさしくなりましょう
失敗しても「そういうこともあるよね」としっかり認め、けなしたりしない。
完璧であろうとしない。
「まあ多かれ少なかれこんなあいまいなケースもあるだろう」ときっちり線引きをしない。
まずはそういったところから攻めていきます。

その上で「今、自分には何ができるのか」を考えていくのです。
ご自身の言動や行動を少しずつ修正していくことで、まわりにも変化が訪れます。
ちょっとした積み重ねは必要になりますが、自己肯定感を取り戻すことは可能なのです。
こういった「自分には何が過剰で、何がたりなかったのか」をしっかり把握することが大切です。
きちんと段階を踏んで、共依存を克服していきましょう。