ドラマによくある「こんなに想っているのに…」の裏に隠された真実

鑑定の現場でもよくお客さまがもらす…

占い業界では恋愛の相談が圧倒的に多いと思いますが、しばしばお客さまから話をきいていると「こんなに想っているのに…」と言われることがあります。
また親御さまからお子さまに対して「こんなに想っているのに…」という発言があったりすることもあるでしょう。

そしてたいていの場合、「想っているのに」「愛しているのに」などの後に続く言葉は否定的なものばかり。
振り向いてくれない、わかってくれない、愛してくれない、などなど。
しかしここで考えていただきたいのですが「こんなに」という言葉の程度はどのくらいなのでしょう?
かなり個人差、バラつきがあるなあと感じませんか。

ちょっと程度がわかりづらい…

当然「個人差」であり、また主観的な分量にもなり得るために、たとえばAという人が最大限想っている、と感じたとしても、受け取る側はそれほどでもないと感じたり、またその逆のパターンにもなりかねないのです。

愛情深く育った人ですと、ほんの少しの気持ちであってもありがたい、幸せ、と肯定的に受け取りやすいかもしれませんが、そうでない場合は重いと感じたり「そんなことあるわけない」「だまされている」など疑念につなげ受け取らないこともあるでしょう。

無償の愛というものもありますが…

一方無償の愛というものもあります。
多くを語らずとも(= こんなに想っているなどと宣言せずとも)あたたかく見守ったり、さりげなく尽くしたりする場合もありますね。
ただし無償の愛というのは、相手に見返りなどは求めません

さて先ほどの例と比較してみてください。
「こんなに想っているのに…」の裏にはひそやかな「見返りへの期待」が隠れているのです。

「こんなに想っているのだから、その分返してよ(= 当然返してもらう価値ありますよね)」

ということ。
ここでまた考えていただきたいのですが、この「想ってくれる」ことを相手は望んでいるのかどうか?
もしかすると望んでいるわけではないのに、勝手に、一方的に想いをぶつけているだけかもしれません。

しかし相手から自分が望むような反応が得られなければ、足りないのだと思い、さらに強い気持ちをぶつけることになるのでしょう。
望んでもいないのに、一方的に強い気持ちをぶつけてこられれば、相手も負担に感じてしまいます。

日本の「文化」が拍車をかけている!?

特に日本の社会においては、何かしてもらったらお返しをする、という文化もあるため、なおさら返ってこないことに対し違和感につながりやすいといえます。
ですが、一方的に気持ちをぶつけられれば、まるで返さないといけない、と相手を追い込んでしまうような可能性も出てきてしまうでしょう。

あるいは今しんどいから少しほうっておいてほしい、と思っているのに、しつこく電話やLINEで追いかけ回されると、当然のことながらシャットアウトされやすくなってしまいます
そう、自分が今必要のないことになぜつき合わなければいけないのか、という気持ちにさせてしまうということ。
想っているのに、愛しているのに、と騒ぎ立てる前に、相手が何を思い、何を望むのかしっかりリサーチするのが先決です。

占い師側もそれを念頭に置きながらお客さまの話をきいていきましょう。
想っています、愛していますと、一見与えているように見えるけれども、その内面には「見返りへの期待」が隠れているのです。

それにどこまで気づいているか、気づかせることができるか、がカギになることでしょう。